人気ブログランキング | 話題のタグを見る

魔界

今日は、仕事がひと段落ついたので、佐野洋子の「シズコさん」を読んでいた。

こういうのを読むとつくづく家庭とは「魔界」だなと思う。

この本に出てくる母「シズコさん」も、悪い女性ではないだろう。
おしゃれで、家をいつも綺麗にととのえ、料理上手。
なのに、著者にとってはよい母親ではなかった。
たぶん、あまりに現実的だったゆえに情を持たず、自分の障害者の弟と妹を遠ざけた。

よそからは、申し分がない人物が家族からはうとんじられるということが世の中にはある。
外からは家庭という小宇宙の実体はうかがい知れぬものなのだろう。
そこでは、容赦なく、むき出しの感情がやりとりされる。容赦なくむき出しにされる感情は、たとえそれが愛情であっても、脅威であろう。
愛情とは、往々にして「食わせもの」であり、常にエゴと紙一重である。


そして愛情の名の下に過剰に相手に要求し、妻だの嫁だの大黒柱だの兄だの姉だの妹だの弟だのの役割を負って息苦しさに苦しむ。

私はずっと家庭とはそういうものだと思って育ってきた。
18歳になり、大学には入るために家を離れ、大学の寮というあまりにもひどい住環境に放りこまれた。そのときでも、魔界から逃れでた開放感に、汚いといわれる東京の空気さえ、澄み渡っているように感じたものだ。

小谷野敦が何かの本で、「バレンタインデーにチョコレートをやりとりするというのはフィクションだと思っていた」というようなことを書いていた。
私も「思いやりに満ちた家庭」、「光に満ちた子供時代」というものは、フィクションなのではないかと思って育ってきた。
今だに、そういうことを口に出す人がいると、「本当なのだろうか」と思わずにいられない。
そして、「この人は、ものごとを額面通りに受け取る人なのだろうか」とも。

そういう私を哀れと思う人は思えばよい。
私は家族などに夢を抱かないし、それゆえに失望することもあまりない。
私が「愛情」という名でかたられる家族というものにありがちな虚構のカラクリに自覚的であるために、我が家はある種の「病」から逃れているとさえ思う(少なくとも私の目からは)。

とにもかくにも家におかしな正体のみえにくい感情のもつれが生まれていないことは、それはそれで幸せなことだと思う。

ま、どこかに本当の愛情があって、それを知る者たちは、私よりももっと幸せなのだろうけど。
by ymznjp | 2008-07-25 22:09