今年のお正月 その4 墓参りして上海へ

1月5日 ホテルをチェックアウトして、義兄の車で郊外にある墓地に行く。
六和塔の脇を通ってずっと先まで行ったところに、婆婆が眠る墓地がある。
山の急な斜面を見上げると、ずっと上の頂上に近いあたりまで墓が建ち並んでいる。
婆婆の墓はその中腹よりも下にあるが、そこまで行くのにも息が切れる。
頂上に近いあたりにある墓まで行くのは、さぞやたいへんなことだろう。
墓地のホールには墓石の価格表があった。確か火葬場にも葬式の料金表と料金を示す電光掲示板があった。こういうことが明朗会計なのはとてもよいことだとは思うが、あまり明確に誰にも見えるところに掲示されているのには、何となく抵抗があった。

その後、ごちゃごちゃした道を通って、杭州駅へ。自転車や人が行き交う狭い道を義兄は平然とおしゃべりをしながら車を運転していたが、後部座席に乗っている私のほうは、怖くて涙目。

しかし、車は何事もなく駅について、そこで義兄とは別れた。
ふたたび和谐号に乗車して上海へ。

上海では、夫の友人が用意してくれた(宿泊料も払ってくれたらしい)ホテルに直行し、荷物を置いてから、ホテル周辺をぶらついて、近所の人へのお土産を買った。
夕方は、近くのレストランで、以前に日本で夫の大学の友人だった人たちにごちそうになる。
みんな某大学の学長になっていたり、学部長になっていたりした。
当時(80年代)、国費留学生であっても、学位(博士号)取得後に帰国するのは、「負け」のような雰囲気があった。さらに日本からアメリカに行く足がかりを得られれば、「勝ち」のような感じだった。アメリカや日本でそこそこに成功した人たちもいるが、今になってみると帰国した人たちが一番の勝ち組になっていたようだ。当たり前のことだが、中国人にとっては、中国で仕事をするのが一番の成功への道だったようだ。何だか皮肉な話だった。

そこでの話を聞いていると、夫は私が知らない間に中国でいろいろな仕事を進めていて、人脈も作っていたようだ。
もしかしたら、日本でサラリーマンをするよりも、そちらのほうに重点を置いて考えるようになるのかもしれない。
今年、息子が大学に進学して、2年後、娘が志望している都内の理系の大学に進学したら、今の家に私一人が残される可能性もある。そうなると、うちの家族は解散になるのかしら。 そうなったら、私は中国に住む気にもなれないし、いったいどうしよう。

などと、考えながら、ホテルに戻って早めに就寝。娘は一人で宿題をしていた模様。
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by ymznjp | 2011-01-17 11:53