<   2012年 02月 ( 7 )   > この月の画像一覧

今日、ニュース記事を見ていて、次のような箇所が目に入りました。


光市母子殺害事件 被告、謝罪も「殺意なかった」

この「も」の使い方は、普通なのでしょうか。
意味は、「被告は、謝罪したが、『殺意はなかった』と述べた」ということのようです。
ですが、上記の文だと、「謝罪も」の「も」は並列用法だろう、いったい何と並列なのだろうかと一瞬考えてしまいませんか。

最近、こういう「も」の使い方を頻繁に目にしますが、とても違和感を覚えます。

「謝罪するも、『殺意はなかった』」とすべきではないのでしょうか。

辞書(大辞林)を見てみると、接続助詞としての説明で、「活用語の連体形に接続して,逆接の確定条件を表す。…けれども。…ても。」となっています。思った通りです。

やはり、辞書の通り、「活用語の連体形」につくべきで、「謝罪」のような名詞につくのは、おかしいと思うのですが、みなさまは、どうお考えになりますか。
[PR]
by ymznjp | 2012-02-21 12:24

お配りチョコの次は…

今年のバレンタインの友チョコは、あまり手伝うこともなく、娘がほとんど一人で作って配ったようだ。
来年はもう受験だから、これが最後となりそうだ。
数年間の狂騒バレンタインからもこれで解放されるのだが、それはそれで寂しいかも。

これまで、バレンタインのチョコには、本命チョコ、義理チョコ、友チョコなどがあったが、最近は義理チョコ以下の「お配りチョコ」というものがあるという話を娘から聞いた。

義理もない、ただそこにいるだけの同僚や先生などに配るものらしい。

数年後には、そこいらにいる人に「ほーれ、ほーれ」と誰彼かまわず投げ与える「投げチョコ」とかが登場しそうな気がする。
[PR]
by ymznjp | 2012-02-18 23:51

いろいろ忙しい

この数日、遊び回っていた。(棟方志功の展覧会や、宝塚を見に行ったりしていたのよ。)
明日、二週間ぶりにお箏教室に行くのだけれど、前日に一日がかりで一曲しあげようと思っていたら、
急に仕事が入ってしまった。
明日弾く3曲のうち、まだ2曲しか弾けない。
明日の稽古では、たぶんその弾けない1曲に一番時間をかけると思う。
大事なことほど最後まで取っておくようなこういう悪い性質はどうしたものだろう。

話は変わるが、息子から電話があった。
10月から一人で生活しはじめたばかりだと言うのに、もう金の無心。
何だか絵に描いたようなドラ息子ぶりではないか。

しかたなく、少しゆうちょダイレクトで送金した。
常日頃、他人様の話を聞いて、内心、「ずいぶんと甘い親だな」と思うことがよくあるのだが、
我が身を省みてみるとやはり大甘じゃないかと自分で自分にあきれてしまった。

娘に話すと、「あと10日じゃない。私だったら、そのわずかしかないお金で毎日ソーメンでも食べて我慢するよ」と言う。
本当だよね。「飢え死にしろ」と言えばよかった。
たぶん、私だって娘と同じようにするだろう。
というか、私や娘のような計算高い女は、そもそもそういう窮地に陥ることさえないだろう。

こんなことでは先が思いやられる。
将来、ブラックリストに載ったりしないように、今のうちにしっかりとした金銭感覚を身につけてほしいものだ。
心を鬼にして、金を貸すのは、これで最後にしよう。
これも君のためなんだ。フフフ。
[PR]
by ymznjp | 2012-02-17 22:47

聞き捨てならない

千恵さんのブログにある人がコメントを書いているが、それに対して、
どうしても一言言いたい。

千恵さんのブログで書かなかったのは、人さまのブログで火種を撒くと申し訳ないから。

つまり、こういうコメントである。

「町工場が高い技術を持ちながらも単価の値切り、光熱費の高騰にあえぎ、それでもなんとか必死で頑張っていると思うと、翻訳者はまだ恵まれた環境にあるのかも知れないです。」



翻訳者だって、技術が必要ですし、単価の値切りにあっていますし、光熱費だってかかっていますが!




つまりは、自分たちが値切り攻勢に負けたから、「安値を拒否したい」と言っている人たちを見ると癪なんだろうけれど、「安値を拒否する」のだって、胆力がいるし、自分で仕事が減るリスクを負うわけだし、
説教される筋合いはないよね。
それにこの人が言うように「時代」に合わせたところで、結局は行き詰るしかないと思う。
きれいごとかもしれないが、
技術を高めながら差別化を図って料金を維持し、それを理解する取引先を探す努力をすることのほうが、
業界全体が泥船化するのを防ぐためには、有効ではないのだろうか。(町工場は取引先が固定されていそうだから、同じようにはいかないのかもしれないが)

それにしても、翻訳者って、こめかみから血が吹き出そうになるくらい考えながら仕事しているのに、どうして楽な仕事だと思われやすいのだろう。
どうして??
[PR]
by ymznjp | 2012-02-09 13:07

差分翻訳って

千恵さんのブログでも触れられていたが、差分翻訳は厄介だと常々思う。

コストを下げるためか、そういうものの需要は増えているようだが、
なかなか翻訳者泣かせだ。

原稿の一部に単語単位でちまちまとラインマーカーを入れて、「その部分のみ元の訳文を直せ」という指示があっても、
必ずしも訳文の一部だけが対応しているわけではなく、一文全体を直さなければならないこともある。

また、前の訳文が自分が作成したものならよいのだが、
他人が訳したもので誤訳だらけの場合も、どうしたらよいのか分からない。
ひどいものになると「対応箇所を修正する」ようにと言われても、その対応箇所がすっぽり抜けていたりする場合や、一次訳が全くの見当違いの誤訳で一部の修正ではどうにもならない場合もある。

差分翻訳を処理するためには、差分箇所だけでなく、その周辺、場合によっては、全体を読まなければならない。
こちらでファイル単位の見積りができ、その料金をもらえる翻訳会社は良心的だと思うが、
ちまちまと単語単位の訂正を依頼して、平気で差分の文字数だけの料金を払えばよいと思っている翻訳会社もある。
そういうことばかりが増えて、最近、翻訳の仕事は本当につまらない仕事になってきたような気がする。
[PR]
by ymznjp | 2012-02-08 08:19

その後、背中の左側の痛みはよくなったが、
今度は右側が同じように痛み始めた。

きっと寒さのせいに違いない。
そこで、カイロを入れるポケットが付いた腹巻きを買って使用してみることにした。
これで、背中をカイロで温めようというわけである。
こういうものは、いくら身体のためでも、以前だったら絶対に買わなかっただろう。
でも、もう見た目なんかにかまっていられないのよ。

こうやって、いろいろな見た目に対する見栄やこだわりを一つ一つ捨てて、
おばさん、ひいてはばあさんに一歩一歩なっていくのだろうが、
まあ、それならそれでもよいではないか。
だって年を取っていくのは、それは自然の摂理なんだから。
じたばたするだけ無駄というものである。

家では、私の一人称はかなり前から「ババ」である。どうだ、潔いだろう。

それで、その腹巻きの効果だが、これが至って調子がよい。
春までずっとお世話になることになりそうだ。

みなさんもいかが。
[PR]
by ymznjp | 2012-02-06 23:26

昨日、別に特別な動作をしたわけでもないのだが、背中の左下のほうが、「ぎっくり」しそうになった。

「ぎっくり」する手前で動作をやめたのだが、その後、何度も何かの動作をしようとするたびに「ぎっくり」しそうになって動作をやめる。

一晩たったけれど、まだ同じような感触が続いている。

昨日、近所の人に会った時にその話をしたら、「寒いとそういうことがありますよね」と言われた。
朝、夫にもその話をしたら、「年取るとそういうふうになるんだよ」と言われた。

私自身は、「運動不足のせいかな」と思っている。
一週間前から、仕事と箏の練習であまり外に出ていなかったから。
でも、この「ぎっくり」が治らないと外に出る気にもなれないから、さらに運動不足になりそうだ。

箏の練習は相変わらず熱心にしている。でも、これがまたさらなる運動不足の原因にもなっている。

カルチャーセンターに行き、テニスだの、水泳だのに興じている人たちを見るたびに、「楽しそうだな」と思う。
だけど、私自身は、そういうことが楽しめない運動音痴なのだし、今回の人生では、そういう楽しみとはおそらく無縁だろう。

やれることをして楽しもうとすると、結局、身体をあまり動かさないでする楽しみになってしまう。
それで運動不足になり、さらにはまた身体が動かなくなる。

何だか切なくなってきた。(でも、お箏は楽しいよ)
[PR]
by ymznjp | 2012-02-01 09:25