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駒場祭に行ってきた

かねてから生協の仲間2人が「一度、T大に行ってみたい」と言っていたので、彼女たちを誘って土曜日に駒場祭に行ってきた。

駒場のT大には、大学時代、何度か足を運んだが(インカレサークルっていうヤツですね)、大学を卒業してからは一度も行っていなかった。
魔窟のような駒場寮が建っていたあたりは、こぎれいな生協食堂やカフェになっていた。
まず、息子のクラスの牛串やに行ってみたが、その時には息子は模擬店にいなかった。
生協で大学の名前とマークが入った饅頭を土産に買い、生協食堂で定食を食べて、さらにあちこちうろつき、
カフェでケーキとコーヒーで休憩した。
その後、みんなが「せっかく来たんだからH君に会っていかないと」と言うので、牛串やに引き返してみるとどこからともなく息子が挨拶に現れた。そこで、「あら、やせたわね」などと言いたいことを言ってプラネタリウムへ。
プラネタリウムを見た後、もう一度、牛串やの前を通りかかるとちょうど息子たちが店を片付けているところだった。
私たち3人でキャアキャアと息子の名前を呼んで手を振ると、向こうも気付いた様子。
(古びたギャル3人でごめんね。ま、私たちだって、20~30年前はかわいかったのよ、たぶんね。)

それで一同満足して、帰途についた。
疲れたけれど、みんなを誘って行ってよかったわ。
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by ymznjp | 2011-11-29 15:25

外へ出よう

9月いっぱいで書道教室をやめた。
家で一人で仕事をし、
書道教室でも、黙々と書き続けるのに、何だか嫌気がさしたから。

10月いっぱい、「次は何をしようかな」と考えていたが、
娘がやっていたのと同じ生田流のお琴の教室に通うことにした。

11月のどしゃぶりの日に見学に行った。

先生は気さくな感じの方。
その日のお稽古は、悪天候のせいか、お休みの人が多く、
2名だけだったが、なごやかな雰囲気だった。

12月の最初のお稽古の日に、
爪をひとそろい購入して、お琴もレンタルすることになった。

いつまで続くか分からないけれど、とにかく一歩進んで見ることにした。

書道も近くでできるところがあれば、再開したいのだけれど、
なかなか踏み出せない。

そのうち、様子を見て、やさしそうな先生がいる教室を探そうと思っている。
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by ymznjp | 2011-11-23 15:13

明日、晴れれば

17日の夜から18日の早朝にかけて、
しし座の流星群が見えるかもしれないからというので、
18日の早朝、娘に叩き起こされて庭で星が流れるのを待った。

何とか流星群なるものははこれまでも度々話題になったが、
ぐうたらな私はそういうものを見るために、夜、わざわざ外で空を眺めたりしたことはこれまでになかった。
だけれど、今回は、10代の娘を一人で夜外に立たせるわけにもいかないので、
しぶしぶつきあったのだ。

外は凍えるような寒さだった。
空は全体に薄く雲がかかっているように見え、とうとう星が流れるのを見ぬまま、
根が尽きて家の中に戻った。

そのまままたベッドに入り、しばし眠った。
夢の中で、私は一人で草原の中を通る道を行き、
満天の星空を、電球のようにくっきりとした大きな流星がいくつも飛び交っては消えていくのを見ていた。
娘にも見せようとしてその姿を探したがが見つからず、電話をかけようとしても繋がらない。
寂しい夢だった。目覚めてからもしばらくその寂しさが去らなかった。

その日の寝不足がたたってか、その日から降り続く雨のせいか、
それ以来、ずっと鬱々として晴れない心を抱えたまま、せっかく取り寄せたトライアルにも
取りかかれないでいた。

でも、今日はよく食べたから、明日は晴れるというから、
きっと気持ちも明るくなるだろう。
私はありがたいことにそういう単純な性格なのだ。
よく眠れたら、トライアルにも取りかかれるだろう。

もう寝よう。明日やれることは明日やろう。
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by ymznjp | 2011-11-19 23:28

東京難民

土日に息子が帰ってきたので、「東京難民(福澤哲三著)」を貸した。

私自身は、この本を夏頃に読んだ。

内容は次のようなものである。

都内でそこそこ裕福に生活していた大学生が、夏休みを終えて大学に行き、そこで初めて自分がすでに学費未納のため除籍になっていることを知る。故郷の両親に連絡を取ろうとするが、行方不明。
住んでいたマンションも賃貸料未納で追い出される。そこから、転落の道へ…。


面倒くさい大学にも行く必要がなくなり、うざい親も姿を消してしまえば、すべてが思い通りで万々歳のはずだが、そこから、今まで当たり前だった生活がみるみる根底から崩れていくのである。
大学の学籍も、定職もなく、住所不定だと、あがこうとしてもその足場さえない。
そして、そうなったとたんに、世の中はそれまでと全く異なる様相を見せ始める。
どこからかハイエナたちが表れて足場を失ったものたちを容赦なく食い物にするのである。

最近、リビングにうち捨ててあった「新・資本論(堀江貴文著)」を拾って読んだ。そこには、「信用=お金」、「コミュニーケーション力が信用を生み、信用がお金を生む」というようなことが書かれていたが、
逆に「お金」がなければ人間関係さえ壊れていくという「東京難民」の中の状況はさらにシビアかつリアルである。


今頃、もう息子はこの本を読み始めただろうか。
一人きりの下宿の部屋で読むこの本は、ホラーよりも恐ろしいはずである。

息子は私のブログを読んでいるらしいから、言っておくが、
フフフ、
次に電話してきたときに、「家」がなくなっていないといいね。
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by ymznjp | 2011-11-16 11:47

10月31日の記事の最後に「つづく」と書いたくせにそのまま書いていなかった。

ここに、その後、夫のどんなところに「うんざり」したのかをかいつまんで書いておこう。

実は、前にも少し触れたことがあったが、夫が勤める会社の仕事を受けることになったのである。

以前は、夫の知り合いのコンサルティング会社に中国関係の雑事諸々をアウトソーシングしていたらしいのだが、今後、翻訳(主に中日訳)の案件が増えそうなので、
私に出せないかという話だった。

まあ、こちらもそれほど忙しくもないし、受注してもよいのだが、
夫が件のコンサルから取り寄せた見積書を私に見せて、
「これより安くやってくれ。会社で話を通すにはこれまで以上に安くないといけないから」と言うのである。
見れば、「原文500字あたりいくらいくら」という見たこともない基準で料金が計算されている。
ネットで調べると「原文500字あたり」というのは中国の翻訳会社の計算方法らしい。
おそらくそのコンサルは中国の翻訳会社に丸投げしているのであろう。

しかも、その金額をできあがり400字あたりに換算すると、通常、私が翻訳会社からもらっているのとあまり変わらない単価になってしまうのである。
直受け(一応、形式的に伝票はどこかの会社を通すのだが)なのだから、それより安くするわけにはいかないし、
品質重視でできるかぎりの努力をしてきた私を、中国の会社と価格で競争させようとするなんて実に心外だ。
「そこまで安くしろと言うなら、もう私はやらなくていい。料金で納得できるところに出してちょうだい」と
言ったのだが、最終的に料金をある程度高くしてもらって、私がやることになった。

一応、私の言い値は通ったのだが、あれこれとやりとりするうちに、この上なくいやな気分になってしまった。
他人だったら、「ちょっと別件で忙しいので、見送らせてください」と言ってしまえばそれまでなのに、
家にいる「客」は、「特に忙しくないじゃないか」とか、「手間をかけすぎてるんだから、適当に手を抜いて安くすればいい」とか、ごちゃごちゃ言ってくるので、実にタチが悪い。

これまで、私が翻訳会社から急ぎの仕事や訳ありの仕事を受注する時などに、夫はよく「そういうときには思いっきりふっかけてやればよい。それができないなんて、花うさぎの取引先なんて、けちくさいところだね」などと言っていた。

だけど、一番けちくさい客は、当の本人だったのである。
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by ymznjp | 2011-11-08 12:41

一人の女性ができること

昨日の続き。

「コクリコ坂から」のことを書いてから、
あの映画について、いろいろなことを思い出し、
ますます違和感が増した。

主人公のうみちゃんは、貧乏な家の娘でもないのに学校に通う傍ら下宿屋をきりもりし、
一家の家事もしている。弟の靴下のつくろいまでするのである。

さらに家でそんなに働いているのに、学校でも男の子の活動のためにガリ版を切ってやったり、
やりたい放題に荒らしたカルチェラタンの掃除をしてやったりする。

さらに、医学部も目指すらしい。

何だ、この子は。スーパーウーマンか。


私はこんなに働く少女を見て、げんなりしたし、痛々しいとも思った。
でも、そうは感じさせない装置がしくんであるのである。
それは、この子がここまでの労働をしているにも関わらず、「自分の好意で」さらに負担を負うことところだ。
「女性ってそういうものでしょ。人に尽くすのが好きだから負担に感じないのでしょ」みたいなある種の都合のよい女性像をこの子は背負っているのである。
こんな子はいるわけもないのに。

実は、最近、私はある知り合いの愚痴をしょっちゅう聞かされている。


その人の夫は家族には無関心。子供の進学にも興味がなく、自分の稼いだお金は自分が優先的に使ってよいと考えている。
長男は、「この大学にしか行きたくない!」と言って学費の高い某私立大学に入った。
次男は今年受験生。
彼女は夜と昼にパートをかけもちして働いてこの2人の子どもの教育費を捻出しようとしている。
それなのに、家事を手伝う人もなく、家族はさらに深夜に車での迎えや買い物を要求したり、弁当に文句を付けたりしているらしい。

それを聞いて、もう子どもも大きいのだし、彼女も自分ができることとできないことを子どもや夫にはっきりと伝えるべきなのではないかと正直なところ思いもするのだが、その一方で、
彼女のあまりにも大きい負担を家族は想像できないのだろうかと非常に不思議にも思うのだ。
母だから当たり前、妻だから当たり前だと思っているのだろうか。家族でもない私が聞いても胸が痛むのに、
この家の人たちは、こんな状態で一つの家に住んでいて、どうして平気でいられるのだろうか。

ずっといつもいつもそのことが不思議でならなかった。
でも、「コクリコ坂から」のような映画を見て、「女一人にいくらでも負担を負わせて何の疑問も感じない」男性は意外と世の中に普遍的にいるのかもしれないと思い当たったのだ。
 
製作側は言うに及ばす、「かいがいしく働くうみちゃん、すてき。理想の女性です」などとレビューを書いている人たちも、
「女性を賛美している」ように表面上は見えるけれど、
こういう薄情な鈍感さに相通じるものを持っているのではないだろうか。
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by ymznjp | 2011-11-07 08:24

このトピを読んでかわいそうで、泣きそうになってしまった。

こういう人っているよね。

男の自分は、家事がたいへんだからやらないけど、
女なら、たとえ子供であっても、家事をするのは当たり前。
当たり前だから、苦にはならないだろう。

そんなふうに思っているのかしら。

お母さんがいないなら、平日の家事をある程度やるのはしかたないのかもしれないけれど、
土曜日の父の友人の接待だとか、弁当作りまでやらせることはないじゃないの。
いったいこの子はいつ勉強するの。いつ遊ぶの。
女の子だって、今時は「いいお嫁さん」になるだけじゃ、将来、食べていけるかどうか分からないのよ。
この親は世の中が見えないのかしら。

こういう家に毎週出かけて行って、「いいお嬢さんだねえ」と言いながら、
飲み食いする大人も、いったいどういう気持ちでいるのだか。

そういう男性もこの父と同じく家事の重みをしらないから、
へいちゃらでいるのかも。

いつだったか、「コクリコ坂から」を見に行った時も、同じようなもやもやを感じたものだ。
お母さんは、昭和30年代にして海外にまででかける研究者、おばあさんは、床の間の前に鎮座ましましている良家の奥様ふうの人で、妹と弟は脳天気にマイペースに暮らしている家庭なのに、
どうして主人公の女の子は下宿屋のおさんどんをして、こんなに働いているのか。
さらに「医者を目指す」という台詞もあって、何だかめまいがした。
こんな生活でそんなに勉強できるわけ、ないでしょ。

宮崎監督は、女の子がかいがいしく働く姿がどうやら好きみたいだけれど、
それにしても、こんな生活をしたらどんなにきつい思いをするか実感できないのだろうか。
ああ、お願いだから、宮崎じいさん、学校に行きながらでも、女の子ならこんなに重労働ができるなんて、勘違いする人が出てくるといけないから、こんな映画は作らないでください。

家事は女がやってもたいへんです。
ついでに子育てだって、女がやってもたいへんなんです。
男の人がやるのと全く変わりないくらいに。

そんな当たり前のことがどうして分からないんだろうね。世の男どもには。
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by ymznjp | 2011-11-05 00:19

それで正解は?

こういう質問があるそうです。

で、答えは何番なのでしょう。
それが気にかかります。
3?それとも、4?

でも、「はい、上手です」と答えちゃいけないんですか。
私なら、そういう人、ちょっと好きかも知れません。
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by ymznjp | 2011-11-01 11:05