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いったん帰りました

22日に娘の学校の終業式があったので、月曜日にいったんこちらに帰ってきた。
また、今日、実家に行って、様子を見て数日のうちに戻って来ようと思っている。

先週、実家に向かう時には電車がまだ動いていなかったのだが、月曜日には運転が再開していた。
水や野菜のことは少し心配だが、確実に状況は好転している。

娘の話では、昨日の終業式には、茨城県北から来ている子もみな何らかの手段を使って登校していたとのことだった。
学校は昼に終わる予定だったのだが、あの地震以来、久々に顔を合わせた友達とのおしゃべりが楽しかったのか、娘はなかなか帰宅しなかった。
来年度から、志望大学別にクラスが分かれるのだが、娘も、娘のお友達もみな希望通りのクラスに入れたそうだ。
夕方にはピアノのレッスンに行き、地震で中止になったピアノ発表会の新しい予定も聞いてきた。

また、その一方で、息子の入学諸手続きの書類もできあがり、生協の入会の費用なども振り込み、後は4月2日の手続きの日を待つだけとなった。

こうして、着々と新しい年度に向かってそれぞれ希望を持って歩み始めている。

だけれど、まだ中国にいる親族たちはここにいる私たちを心配しているようだ。
でも、私や子供は、これまでここで積み上げてきた生活を捨てて行くことはできない。
今回、あっさりと帰国した人たちはたくさんいたようだが、どうしてそれができたのだろうか。
やはり中国人ならば、私たちと違って自分の国に帰るわけだし、いろいろなものを捨てて帰国してもなんとかなるのだろうか。
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by ymznjp | 2011-03-23 09:04

下にSatsukiさんのコメントへの私の返事をコピーします。
やっと大学から入学諸手続きの書類が来たので、それを持って
とりあえず連休明けまで私の実家に帰省します。理由は下の通りです。
また、その後、お会いしましょう。

[Satsukiさん、こんにちは。
本当に一週間前とは、まったく世界が変わってしまいました。

実は、我が家は、この数日が一番たいへんです。
中国の夫の親族から、「早く中国にみんなで避難してこい」という電話がガンガンかかってくるのです。
この人たちを納得させるために、火曜日に子供たちだけ私の実家がある横須賀に行かせましたが、まだ納得してもらえないようです。
うちのあたりはいつも通りに生活している人が多く、公立の学校も再開されました。それなのに、大学の入学手続きも、夫の仕事も放りだしていけるはずもないのですが、それが分かってもらえないのです。遠いところにいる人たちが心配なのは、十分分かりますが、何だか疲れてきました。それとも彼らが言うように、私が楽観的すぎるのでしょうか。]
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by ymznjp | 2011-03-17 14:59

地震、およびその後

先週の金曜日、私と息子は土浦にある息子が卒業した高校に車ででかけた。
かえりには入学式に着ていくスーツも買う予定だった。
息子が先生に合格の報告に行っている間、私は学校の駐車場に停めた車の中で待つことにした。
1時間以上、待ったのに、息子が学校から出てこないので、「先に帰る。電車で帰ってね。もし必要なら迎えにいくから電話して」とメールして、学校を後にした。

しばらく道を行ったところで大きな揺れ。
「これは普通の揺れではない。電車が止まるかも」と思い、息子をつれてかえるために学校に引き返した。
もうすでに全校生徒と先生方が学校の門の近くの空き地に避難していた。その中にいる息子をみつけ、
お世話になった先生にも挨拶して、学校をもう一度後にした。(このころまでは、ことの重大さに気付いていなかったので、双方笑顔だった)

信号が消え、渋滞した道を走り、2時間かけてようやく家についた。
途中、隣家の奥様から「うちの娘がひとりで家にいるのですけど、どうしているか見てもらえますか」と泣きそうな声で電話があったが、私も渋滞で身動きできないので、帰ったらすぐに見て連絡すると伝えた。

家にかえると、天井の照明のカバーが落ちて砕け、本や雑貨が床中に散乱していた。
隣の家を見に行くと、すでにみんな帰宅しており、お嬢様はお友達の家に無事避難していたということだった。
夫はすでに家に帰って片付けをしていたが、私の仕事机の上から落ちたパソコンや電気スタンドや紙類はそのまま床に散らばっていた。あたりをざっと片付けて、メールを確認すると、娘の学校から「迎えに来られる保護者は迎えにくるように」との連絡がきていた。

家を出たのが18時、途中でガソリンを入れるのに手間取って(でも、ここでガソリンを満タンに入れたのは、後から考えれば正解だった)、やっと6号線に出ると、もうコトリとも車が動かない大渋滞に巻き込まれた。

車内でラジオを聞きながら、10時40分すぎごろまで4時間以上、車の中で粘ったが、学校にたどり付けないので、あきらめて家に戻った(普段は30分くらいの道のりなのに)。この間誰とも連絡がとれず、途方にくれた。家に向かうくだり方面の道路はすいていて、あっという間に家に着いた。
学校に電話して先生に連絡した結果、娘は学校に泊まることになった。

家につくと、断水が始まっていて、息子がバケツとどんぶりに水をとって置いてくれたが、それではどうにもならないので、セブンイレブンに息子をつれて出かけていった。
すでに店の食料品は少なくなっていたが、冷凍食品や飲み物を買って帰った。

翌日、早朝に学校から連絡があり、今度は夫が迎えに行った。その時は、もう渋滞はかなり解消されていたようだった。娘は「楽しかった。夜は乾パン、朝は菓子パンをもらって食べた」と言っていた。

その後、給水所に行ったり、買い出しに行ったりしてそれなりに忙しくすごした。
今は、ガソリンが入手困難なので、外出は控えているが、それ以外はおおむね、平常に戻った。
でも、相変わらず、常磐道も閉鎖されているし、電車もこのあたりでは復旧していないので、物は不足しているし、これからどうなるのだろう。
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by ymznjp | 2011-03-16 11:37

今日、息子の第一志望の合格発表があった。

T大文三合格(いつかのSharonさんの予言が当たったね)。
やった。

朝、珍しく緊張した面持ちで息子が出かけていった後、
ずっと私も何事も手につかずに息子からの連絡を待っていた。

13時に発表予定となっているが、例年それよりも早く発表があるらしい。
でも、13時を回っても、一向に連絡がない。
「もしかしたら、落ちたかも?」胃がきりきりと痛みだす。

13時15分ごろになったころ、やっと電話が鳴る。
「どうだった」
「受かったと思う」
「えっ。『受かったと思う』ってどういうこと?」
「受験票を持ってこなかった。受験番号は確か×××だと思うのだけど、その番号ならあった。
受験票探してみてくれる?私大の受験票と同じ封筒に入っていると思う。
でも、たぶん大丈夫だと思ってもう胴上げもしてもらった。」

電話をいったん切って、その封筒の中を見たが、受験票はない。
息子の部屋にいって普段使っているリュックの中を見てみると、果たしてその中に受験票はあった。

こういうときに受験票も持たず、番号も控えずにぶらりとでかけてしまういい加減なところがいかにも息子らしい。

その後、息子に受験番号を連絡して、その後、実家だの、夫だのに連絡する。

本当にうれしい。
でも、本当は文二志望だったのだが、願書を出すときになって弱気になり、文三に出願してしまったのは、ちょっと残念だった。それに今年はめずらしく文二のほうが合格最低点が低くて入りやすかったのだから、なおさら文二に出せばよかったのにと今になってから思ってしまった。

だけど、グチグチ言うのは、これでやめにしよう。気持ちを切り替えて、前向きに行こう。
とりあえず、ケーキ買いに行こう。今月はこれで何度目かな。
武道館での入学式についていくの、楽しみだな。
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by ymznjp | 2011-03-10 13:42

いきなりぜいたくな悩み

その後、息子はK大経済学部、W大商学部にも合格した。

2~3日前まで、「どれか一つでも受かりますように。もう一年、浪人しませんように」と祈るような気持ちでいた。息子も同じような気持ちだったと思う。
月曜日にW大政経学部に合格したと分かった時には、
「ああ、これで十分」と思った。たぶん、それについても息子も同じだったと思う。

その後、次々と他の大学も合格したことが分かると、何だか合格したことが「当たり前」のように思えてきた。本当に罰当たりな私と息子である。

今、「K大経済学部」と「W大政経学部」のどちらに納入金を入れるかを息子は迷っているらしい。

迷うということは、「どちらでも似たようなもの」だということなのだろうけれど、
まだ入学金納入日まで数日あるので、ゆっくり悩めばいい。
でも、たぶん、決定打となる合理的な選択の理由なんてないだろう。
実家の母に合格の報告をしたとき、「Hちゃんなら、W大のほうが合ってる。慶応ボーイっていう雰囲気でもないし」と言われた。
私もそう思う。W大のほうが、息子には合っている。
一方で、いろいろな面で、K大のほうがW大よりも良心的なよい大学のようにも思える。
(それに大隈重信よりも福沢諭吉のほうがイケメンだし)

どちらでもよいと思っていたが、息子が迷うのを見ていたら、私もどちらがよいか分からなくなってきた。でも、やっぱりどちらでも似たようなものだろう。
鉛筆でも転がして決めちゃおうか。
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by ymznjp | 2011-03-02 12:50