<   2011年 01月 ( 8 )   > この月の画像一覧

寝食を忘れて

昨日の午後は、仕事で都内にでかけた。

午前中と夜は、翻訳をするつもりだったのだが、結局、片付けものをしたり、ぼんやりしたりで終わってしまった。

明日朝納品したら、次は水曜日納品。

仕事は、まだあるよ。まだまだあるよ。

仕事の合間に、「発言小町」を見ていたら、
「寝食を忘れてできるものは何」みたいなトピが立っていた。

中に、「私が寝食を忘れてできることは『翻訳』です。楽しくってしかたがありません」というような発言が複数あった。

ふーん。

「あんた、そりゃ、遊びでやってるから!!」と思った。
[PR]
by ymznjp | 2011-01-30 10:25

このところ忙しい

このところ、仕事が次から次へと入り、忙しくてブログの更新もできない。
ルクエのいろいろな使い方も試してみようとおもっていたのだが、調べる時間もなくて、モヤシやカリフラワーの下ごしらえにしか使っていない。

この間、ニトリに行ったら、シリコンの調理用具がいろいろと置いてあった。
スチーマーや鍋などは990円。
ルクエなど買わなくても、それで十分だったかもしれないと、ちょっと後悔したりもした。

仕事の他に、息子の受験料を払いに行ったり、願書を出しに行ったり、
娘の通院に付き添ったりして、忙しい。

明日は都内まで仕事の説明会に行かなければならないし、
月曜日には書道教室があるし、来週の6日には法事で実家に帰らなければならない。

でも、もうじき春節だから、その後は暇になるかしら。
[PR]
by ymznjp | 2011-01-29 00:17

ルクエが使いこなせない

ずいぶんまえから主婦の間で話題になっていたルクエ。
興味はあったのだけれど、高いので購入に二の足を踏んでいた。

ところが、今年になってネットでルクエの福袋を見つけた。
レギュラーサイズのルクエ2つとブランドタオル1枚で5250円。
おお、これまでの半額!

さっそく手に入れたのだが、これが使いこなせない。
ネットで見つけたレシピの通りに作っても、野菜が堅かったり、肉の中が赤かったり。
たぶん、食材の量や電子レンジの種類によって、多少の加減がいるのだろうが、それがなかなかうまくいかない。

失敗料理を連続して作ってしまい、悔しいのでケーキを作ってみた。
電子レンジで数分。本当にお手軽。でも、やっぱりオーブンでちゃんと焼いたほうがおいしいみたい。

ちゃんとしたレシピを買って、きちんと作らないからいけないのかと思い、
書店に行ってルクエのレシピ本を数冊見てみた。
しかし、そういう本に載っている料理は、「何とかのハーブ蒸し」とか、「何とか風パスタ」とか、やたらにおしゃれな料理で、たぶんうちのような家庭にはなじまないだろうと思うものばかり。

このままでは、冷凍シュウマイだの、冷やご飯をあたためるだけの道具になってしまう。
高いものなので、そういう事態はどうしても避けたいところだ。

書店には、シリコン鍋付きの1500円のレシピ本も売っていた。
まずああいう安いもので試してみるべきだったのかもしれない。
「ルクエはおしゃれなデザインなのでそのままテーブルに出せます」と言うが、価格に見合うほどおしゃれだとも思えないし。

ルクエを買って、料理の手間を省くつもりだったのだが、結局、今のところ、かえって手間がかかっている。
うーん、どうしよう。ルクエ。
[PR]
by ymznjp | 2011-01-19 21:44

今年のお正月 最終日

1月6日 午前中は、宋慶齢故居を見学。
娘が「宋慶齢って誰?」というので、立ち寄ったのだ。
資料館の他に、実際に宋慶齢が住んでいたという住宅の中をガイドの説明を受けながら見ていった。
立派な嫁入り道具、各国から送られた美術品、当時は珍しかった冷蔵庫…。
生まれも、育ちも、才能も、高潔さもすばらしすぎて、ただただ娘と「すごいね、すごいね」と言いながら、見た。
もうこれほどになると、「自分の手本にしたい尊敬する人」どころではなく、「別世界の人」としか思えなくなる。確かにそうなのだけど。

お昼前に荷物をまとめて、仕事のために中国に一人で残る夫に空港まで送ってもらって、私と娘だけで帰国。
娘は帰りの機内で無事宿題を終わらせた。

その後、9日に、大学時代の友人と新宿こまつ座で井上ひさしの「化粧」を見た。
質素でレトロな劇場での一人芝居。芝居の内容自体はそれほどおもしろいとは思わなかったが、女優さんの力量には感心するばかり。
本当によいものに誘ってもらった。

その後、お茶して、友人と別れて帰宅。

これで、私のお正月の予定は一通り終わった。残るは、息子の受験…。
[PR]
by ymznjp | 2011-01-17 17:56

1月5日 ホテルをチェックアウトして、義兄の車で郊外にある墓地に行く。
六和塔の脇を通ってずっと先まで行ったところに、婆婆が眠る墓地がある。
山の急な斜面を見上げると、ずっと上の頂上に近いあたりまで墓が建ち並んでいる。
婆婆の墓はその中腹よりも下にあるが、そこまで行くのにも息が切れる。
頂上に近いあたりにある墓まで行くのは、さぞやたいへんなことだろう。
墓地のホールには墓石の価格表があった。確か火葬場にも葬式の料金表と料金を示す電光掲示板があった。こういうことが明朗会計なのはとてもよいことだとは思うが、あまり明確に誰にも見えるところに掲示されているのには、何となく抵抗があった。

その後、ごちゃごちゃした道を通って、杭州駅へ。自転車や人が行き交う狭い道を義兄は平然とおしゃべりをしながら車を運転していたが、後部座席に乗っている私のほうは、怖くて涙目。

しかし、車は何事もなく駅について、そこで義兄とは別れた。
ふたたび和谐号に乗車して上海へ。

上海では、夫の友人が用意してくれた(宿泊料も払ってくれたらしい)ホテルに直行し、荷物を置いてから、ホテル周辺をぶらついて、近所の人へのお土産を買った。
夕方は、近くのレストランで、以前に日本で夫の大学の友人だった人たちにごちそうになる。
みんな某大学の学長になっていたり、学部長になっていたりした。
当時(80年代)、国費留学生であっても、学位(博士号)取得後に帰国するのは、「負け」のような雰囲気があった。さらに日本からアメリカに行く足がかりを得られれば、「勝ち」のような感じだった。アメリカや日本でそこそこに成功した人たちもいるが、今になってみると帰国した人たちが一番の勝ち組になっていたようだ。当たり前のことだが、中国人にとっては、中国で仕事をするのが一番の成功への道だったようだ。何だか皮肉な話だった。

そこでの話を聞いていると、夫は私が知らない間に中国でいろいろな仕事を進めていて、人脈も作っていたようだ。
もしかしたら、日本でサラリーマンをするよりも、そちらのほうに重点を置いて考えるようになるのかもしれない。
今年、息子が大学に進学して、2年後、娘が志望している都内の理系の大学に進学したら、今の家に私一人が残される可能性もある。そうなると、うちの家族は解散になるのかしら。 そうなったら、私は中国に住む気にもなれないし、いったいどうしよう。

などと、考えながら、ホテルに戻って早めに就寝。娘は一人で宿題をしていた模様。
[PR]
by ymznjp | 2011-01-17 11:53

今年のお正月 その3

e0070452_15285458.jpg
1月4日
 朝、ホテルから歩いて、公公の家に行く。公公は大学の古い職員住宅にお手伝いさんと2人で住んでいる。老いたとはいえ、他人の女性とそういう生活ができるところが日本人には理解できないところだ。
殺風景で施設も整っていない住宅なので、もう大分多くの人が別のところに転居してしまっているようだった。
 私たちが着くと公公はひとしきり娘の手をとって、なでたりさすったりした後、私に言った(公公は標準語ができないので筆談である)。
 「あのお手伝いのばあさんには、1ヶ月400元も払っているが、まったくそんな価値のないばあさんだ。田舎もので衛生観念がなく、たいしてする仕事もないのに、何をやっても雑だ。」

 あんなに仲がよさそうに見えるのに、そんなふうに思っていたとは、意外だった。
 
 後で夫に聞いたところでは、いくら田舎のおばあさんでも、1ヶ月400元で雇えるわけはないのだが、公公がそれ以上払わないと言い張るので、義兄が公公には黙ってこっそりと別にお手伝いさんにお金を渡しているのだそうだ。義兄はさんざん公公に「ぜいたくものの困った息子」となじられているのに、こういうところでは、長子としてやることはやっている。
公公は以前から私にも「老大は浪費家でダメなやつだ」と言っていて、私も最初はそれを信じていたが、今では義兄に同情するようになった。
将来、もう何もお金に困ることがないのに、目的もなくやたらと倹約をし、それだけならまだしも、他の人の生活にも口出しをしている。倹約自体は悪いことではないが、小銭をケチるために身近な人間関係を平気で壊すのは、いったいいかがなものなのだろう。
 
 公公は私にはとても親切なので、私も礼儀を尽くして接しているが、こういう人と家族として日常的に接するのは、たいへんなことであろうと思っている。

 公公の様子を見ていると、何だか夫に非常に似ていて、夫の将来の姿のように思えた。そして、そういう人と生活をともにする自分の老後を思って、鬱々とした気分にになってしまった。

 その後、いつものように宝石山に登り、西湖のほとりのコーヒーハウスでお茶をして、いつもの通り、遊覧船に乗った。
 夜は、公公と待ち合わせて食事をしてホテルに帰った。
[PR]
by ymznjp | 2011-01-14 15:29

今年のお正月 その2

1月3日 朝からみぞれが降る寒い一日。午前中、義兄(夫の兄)が車でホテルに迎えに来る。
どこに行くのかと尋ねると、「杭州の発展したところ」とのこと。
銭塘江のほとりまで行き、車を降りる。
なにやら金色の球状の建物だとか、よくわからないがたいそう立派なビルがいくつか建ち並ぶ。
そのあたりは「銭江新城」という名で新しく開発される地域のようだ。
「寒いから、見なくてもいいよ、帰ろう」と言ったのだが、「杭州は昔のまんま」と言われて意地になった夫に促されて、みぞれの中を歩き回る。
濡れてつるつる滑る道を歩いて、地下にあるホールのようなところに入ると、開発予定の建物のモデルが展示されていた。
私たちの他は誰も見学者がいないのに、モップを持った女性がひっきりなしに行ったり来たりして床を磨いていた。

ということで、「杭州も変わる(予定)」らしい。

その後、シルク博物館を少し見て、河坊街に行く。これまで何度も杭州に行ったのに、なぜかここには行ったことがなかった。
おもしろいお店がたくさんあったが、結局、何も買わなかった。
どうせ買っても、家に帰れば、興味がなくなってしまうようなものばかりだったから。
河坊街を突っ切ったところにある歴史博物館に入り、中を見学。
「税法の歴史」のような、私にとってはあまり興味がない展示をやっていた。
夜は、義兄の家でごちそうになる。
いつも義兄の家は生活感がなく、モデルルームのように片付いている。
最近、ますます雑然としてきた我が家のリビングと引き比べながら、義兄の家ではどんなふうに暮らしているのだろうと不思議に思った。ここ数年、お酒は飲まないことにしているが、この家で出される紹興酒はいつもおいしいので、少しいただく。お茶もお料理もおいしかったし、奥様も6年前よりもさらに若返ったように見えた。義兄は、公公やうちの夫とは違って、ケチな人ではないので、収入に見合った豊かな生活を楽しんでいるようだった。

その日は、そのままホテルに戻り、娘は宿題。私はその傍らで、変な和服を着た日本人が出てくるドラマを鑑賞。
(続く)
[PR]
by ymznjp | 2011-01-13 15:35

今年のお正月

少し遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
今年のお正月は中国に行っていました。

こんな感じ。↓

1日 午前中の便で上海へ。
空港からリニアモーターカーに乗って、ホテルの近くまで行く。
リニアモーターカーは地下鉄に比べるととても高いが、乗ってしまえばただの列車。
そう思ったので、その通り夫に言うと、「せっかく高いリニアに乗せたのに、そんなことを言うなんて。もう絶対に乗らないからな」と言っていた。
ホテルに荷物をおいて、陆家嘴のあたりをぐるりと回るバスにのって、
摩天楼を眺める。田舎ものの私と娘は、上海の発展ぶりにただ呆然。
その後、豫园に行ってぶらつく。
夕方は、夫の友人夫妻にごちそうになる。
なんとなく話すこともないので「寒い、寒い」と言っていたら、マフラーもお土産にもらってしまった。
この人たち、アメリカに住んでいると思っていたのだが、いつの間に上海に戻っていたんだろう。

2日 和谐号で杭州へ。上海駅っていつのまにこんなにきれいになったの?
上海から杭州へ40分でいけるなんて、すごい、すごい。
田舎ものの私と娘は、いちいち驚く。
杭州着後、タクシーに乗ってホテルへ。
車中からみる杭州の町並みは以前とあまり変わらないように見えた。
「な~んだ、杭州は変わっていないね。上海みたいにすごいところになっているかと思ったのに」。娘とそう話していると、夫は「杭州だって変わったんだ」とぼそりと言う。

公公は私たちが中国に行く前日に入院していてその日退院するというので、病院に迎えに行く。
一時的に体調を崩しただけで特に大きな健康上の問題はいまのところないという話だった。
住み込みで面倒をみてもらっているお手伝いさんとはとても親しげでまるで夫婦のように見えた。
ま、年を取っても仲良くできる人がいるということはよいことだ。

そのまま、みんなで病院の近くのレストランで昼食。
店は豪華になっていたが、ウェイトレスは相変わらずとんでもなく無愛想だった。
テーブルが汚れているとか、いろいろな文句を夫が言うと、返事もせずにいかにも不機嫌そうにテーブルを拭いてくれた。

それを見て、夫が私にいろいろ文句を付けてくるときも、同じような対応をしてみようかなと思った。
そうすれば、態度が悪いのはお互い様なわけだし、自分だけが損をしているように思わずにすむのではないかしら。そうだ、今度、やってみよう。どんな人にも学ぶところはあるものだ。

その後、ホテルに戻り、ホテルの最上階にある西湖の夜景が見えるレストランで、夫の取引先の人と食事。夕食後、夫はその人たちと夜の街に繰り出して行ったが、私と娘は部屋に戻る。
娘が数学の宿題をしている傍らで、貧乏な子だくさんの男女が子供たちの服や食べ物を手に入れるために苦労するドラマを見ていたが、少しもおもしろくないので早めに就寝。
(続く)
[PR]
by ymznjp | 2011-01-12 14:29