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明日、息子の学校で進学講演会がある。

うちの息子は、学校で配られる手紙なんて、みんなどこかへやってしまい、一枚も持ち帰ってこないので、同じ学校に通うお子さんを持つ奥様Aから、いつも情報を流していただいて、一緒に出かけている。

今回も奥様Aから連絡があって、一緒に行くことになった。
近くにもう一人奥様Bがいて、その家のお子さんも同じ高校に通っている。

「Bさんもお誘いしましょうよ」ということになったが、B家は中学を卒業してから、転居したらしく、中学の卒業名簿に載っている電話番号にかけても、電話がつながらない。

そこで、私は息子に言った。

「あんたの携帯電話にB君の携帯番号が入っているでしょ。だからあんたの携帯でママがB君に電話をかけて、B君がでたら、B君のお母さんにかわってもらおうかと思うんだけど」

「ええっ。そんなことをしたら、B君に嫌がられるにきまってるでしょう。
まったくかあちゃんは無神経なんだから!」

そんなに私は無神経なことをしようとしたのだろうか。

結局、息子は、固定電話の番号をメールでB君に問い合わせて、その番号を私に教えてくれた。

どうしてそんな面倒くさいことをしなければならないのか、どうして息子たちの携帯を母たちが少し借りることが無神経なのか、私にはさっぱり分からない。
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by ymznjp | 2008-10-30 15:30

数週間前、朝日新聞に宮部みゆきがゴッテンの「人形の家」についての文を載せていた。
「確か娘に買ってやったっけ。私も読んでみよう」と思っていたのだが、なかなか手に取る暇がなくて、やっと昨日読んだ。

2人の女のこが人形の家族を持っている。
もともと家族としてセットで作られたものではなく、寄せ集めの人形の家族である。
人形たちも、それぞれが父、母、姉、弟の役割を持っていても、本当は家族ではないことを知っている。
そして、みんなそれぞれの「歴史」を持っている。

人形たちは靴箱の家に住んでいたが、みんなで「願った」結果、
豪華な人形の家を手に入れる。
でも、あとからいじわるで美しい人形が現われて、その豪華な人形の家はいじわる人形のものになり、もともと住んでいた「家族」はいじわる人形の召使にされてしまう。(そういうふうに人形の持主の女のこが決めたから、そうなるしかないのだ)

そして、幼い「弟」人形も、もともと母であった人形から引き離されていじわる人形の子供ということになる。

幼い「弟」がろうそくの火に近づいていく時、もともと母だった人形は「ダメ、ダメ」と言う。
そして、いじわる人形は「いいわよ、いいわよ」と言いながら、「弟」を死の方向へ導いていくのである。「弟」は、もともと母だった人形を離れ、「いいわよ」といういじわる人形のほうになついていく…。

どう?怖いでしょ。子供向けの話にしては。

これを読んですぐ、先日評判になっていたこの動画を見た。




私はもともとこの知事があまり好きではないし、「だったら、自分が政治家になれ」とか、「いやなら、よその国に行け」とまだ16や17の子供に言うのは、あまりにも大人げないと思う。

だけど、今、この先、これまで豊かさゆえに成り立ってきた「やさしい」世の中がもう来ないなら、こういうふうに言う大人もいなければならないし、ここで目を覚まして厳しい現実に目を向けたほうが、子供のためにもなるのではないかと思ってしまった。

それにしても、ついこの間まで「ゆとり」だのなんだのと言って甘やかしていたのに、ほんのわずかな間に大人の世界が方向転換してしまうなんて、
子供にとっては本当に酷な世の中だ。

何でも「いいわよ」と言ってきた「ゆとり教育」の気分の中で子供を生きさせようとする大人と「自分で壁を乗り越えろ」、「甘えていたらだめだ」と言って子供を泣かせる大人とどっちが優しいんだろう。
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by ymznjp | 2008-10-29 23:09

「ひっそりと無欲に生きていくことにしましょう」とかそんなことを書いたくせに、
今日もまた無駄な出費。

携帯電話が見当たらないと思ったら、洗濯機の中でグルグルと回っていた。

過去に2回水没して復活し、不死身と思われた携帯電話だったが、今度ばかりはお陀仏だった。

駅前のショップまで出かけていき、新しいものを購入。
「ポイントがどうしたこうした」ということで、何だかよく分からないけど、割引になった。
結局、7000円ちょっとの出費。

この間も、大きなイモムシが2匹出てきて、キャベツ1個捨てたのだ。
それに、スーパーのレジ袋からころがりおちたソーセージ1袋をそのまま車内に放置して、それも腐らせて捨てた。

もう無駄ばっかり。罰あたりな私。
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by ymznjp | 2008-10-29 15:48

Fujimotoさん、衣食足りるだけでは生きていけないのが、人間のつらいところ、罪深いところですね。

魚なら、多少遊びでとってもあまりどうとも思わないけれど、シカなんかだとやはり心が痛みます。どこで線引をすればよいのか、などは、もう答が出ないかもしれませんね。

ペットも、私は必要としないけど、食べ物と同じように必要と思う人もいるのかもしれません。

でも、本当は、今のペットブームや、環境についての考え方には、みなさんがおっしゃるように何かすり替えがあるし、「美辞麗句」ともいうような気持ち悪い部分を感じます。

「動物に必要とされてうれしい」とか、「環境にやさしくしたい」とか、やっぱり気味が悪いのです。

以前にある人が「私が帰ってくると、ペットが飛びついてくるのがかわいい。待っていてくれるものがあるから、がんばれる」と言うのを聞いて、「こわい」と思いました。

それに、そんなふうに「一日自分を待っている存在」に命あるものを落としめてしまったら、私だったら、良心の呵責で押しつぶされてしまうのではないかとおもったからです。
何かに必要とされたいなら、本当は自分が頼っているのに、話を平然とすり替えてしまったりせず、別の形で必要とされるようとがんばったほうが建設的ではないかと。

「人と同じように何でもさせる」という発想も、何となく怖いですね。

昨日も、スーパーに行くと、「イヌ用クリスマスケーキ」の予約受付が始まっていました。人と動物を同一視する
こういうものの中に、動物は本来のあり方から離されて、人の思惑の中で「生かされるもの」なりさがっていく過程を見るような気がするのです。
動物がほしがるから与えるというようりは、こちらの心を勝手に注ぎこめるから、「愛することができる」ということなのでしょうか。
昔は動物は動物として飼われていて、それなりに動物の領域がある程度守られていたと思うのです(これは私の勝手な思い込みかも)。


……まあ、みんながやっていることですから、とやかく言うことでもないし、私の考え過ぎなのでしょうけどね。
いろいろな意味で節度を持つことは大切だと思うのですが、あまり深く考えてもどうにもならないのです。「いのちの食べ方」を見ても、その先、どうするか、という答えは、おそらく出ないでしょう。
私自身も、動物の最期をこの目で見ても、「それを知ったからと言って何もできない」という答えしかでなかったのですから。
つまり、まさしく「神の領域」ということでしょうか。
できることは、せいぜい「神」と「自分」を混同しないことくらいでしょうか
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by ymznjp | 2008-10-27 10:50

自分で思うよりも

あれからいろいろなことを考えたし、
いろいろなことがあった。
でも、疲れたので、ここには書かない。

仕事も後1件を残すのみ。
それが終わったら、つくばに新しくできたショッピングセンターを見に行きたい。
そこで「ブタがいた教室」も上映するのよ。

今日の仕事は早めに終えて、YouTubeで懐かしい動画を見ていた。

若かりしころ、よくこんな歌をカラオケで歌った。
薬師丸ひろ子は、「三丁目の夕日」では、お母さん役になってしまったけれど、
今も昔も、声も姿もPureで好き。



今見ると、変なファッションだけど、あのころの雰囲気が出てるよね。
こういう歌をカラオケで歌っていた私は自分で思っていたのより、ずっと「ブリッコ」だったかも。
思い出すと、恥ずかしいけど、懐かしい。
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by ymznjp | 2008-10-26 23:12

私にはわからないこと

その後、気になって、「ブタがいた教室」のレビューなどと見ていた。

「人はいのちをもらって自分のいのちを生きている。だから、せめて無駄にせず、ありがとうと言おう」。

そういう考えに落ち着くらしい。
私もそう思う。
無駄にしなければ、殺される動物も少なくなる。

映画の中の子供の発言にも、「殺すのと食べるのは違う」というものがあるらしい。
「食べるのはいのちを引き継ぐ」ことだから。

そうだろう。しかたがないことなのだ。

だけど、そこからもう一歩進んでみると、動物にそれを納得させて殺すのでない以上、
動物にとって「いのちが消える」という事実があるだけで、
「いのちが誰かに引き継がれ」ようと何しようと動物たちにとっては意味のないことだ。
つまり、人間の気休めの理屈ではないのだろうか。

そこで、「自分たちがいのちを引き継いだのだから、動物は死んでも意味があった」と解釈するのは、ひとの考えを優先するものであって、やはり「動物を支配する」考えではないだろうか。

そこから先へ考えを進めることはできないのだろうか。
映画の中の発言にもある通り、「いのちの長さは誰が決めるのか」。

そして、「その権限を人間が持つのか」、「家畜、ペットという動物のあり方を人が決めることはどうなんだろう」、「食べていい動物(ブタ、ウシ)と食べてはいけない動物を区別することに意味があるのだろうか」、「イヌ、ウサギなどかわいい動物なら食べてはならないのか、サル、イルカなど賢い動物なら食べてはいけないのか」。

そしてこの物語でも、「ペットとして生きながらえさせるか、それとも食用とするか」という問いがあるが、「ペットとして飼う」ことが「食用として処分すること」に勝るような温情ある判断なのだろうか。
「食用として殺すのなら、生きるために仕方がないこと」かもしれないが、
はたして「ペットとして飼うこと」には、この必然はないのではないだろうか。
たとえば、その動物のいのち自体はとりあえず長らえられるとしても、ペットという発想自体は疑問なく受け入れてよいものなのだろうか。いのちの尊厳の問題に踏み込むなら、そこにも疑問は持たなければならないのではないだろうか。
つまり、「ペットとして動物を生産すること、捕獲すること、流通することには罪はないのだろうか」。(私はあると思う。少なくとも、そういう発想があり、それが産業となっていることで、売り時を逃した動物が殺処分されているし、飽きられた動物も殺処分されている。)


それに「動物をペットとして飼うこと自体、本来のあり方を動物に捨てさせ、自分に奉仕させるあり方ではないのか(家族の一員だというけれど、別に動物が家族になりたいと言ったわけじゃなし)」。


こういうことには、答えは出ないだろう。
そんなことに踏み込まずに適当に考え、食べることやペットを飼うことを楽しんで生きるのもそれなりに賢いことだと思いもする。
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by ymznjp | 2008-10-24 09:21

男料理

他の方のブログを見るとよく料理の写真が載っている。

うちでは、とても見せられない。
自分では、料理自体はまあなんとかがんばって作っているほうだと思う。

だけど、作ったものは、何でも大皿に乗せて出すようになってしまった。
表向きの理由は、日本式に一人前ずつチマチマと盛り付けると、夫が「ケチくさい」と言うし(あんたにケチと言われたくない)、息子が小さい頃、とても食が細く、、一人前ずつ盛り分けると、「これだけ食べなければならないのか」とプレッシャーを感じてグズグズ泣いたりしたからだということになっている。

でも、やっぱり一番の理由を正直に言うと、それがラクだったからだ。

大皿に盛るにしても、丁寧に楽しんで盛り付けをする人は、葉野菜などをあしらってこぎれいにやるだろう。でも、そんなことはもちろんしない。

うちではみんなそれが当たり前だと思っているだろうと高をくくっていたが、ついに、今日、娘に「ママの料理ってなんだか男料理っていう感じだよね」と言われてしまった。

男料理!

はあ、そうですか。ごめんなさい。でも、別に反省して明日から改めたりはしません。
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by ymznjp | 2008-10-20 23:26

気がついたら、ものすごく忙しくなっていた。
抱えている仕事の中にはかなり厄介な案件もあるし、胃が痛くなってきた。
このところ、暇が続いたのでだったので、つい断るのがもったいなくて受けてしまったのだけれど、それを受けてから、いつも受けている仕事が次々と入った。
逆の順番で引き合いがくれば、断ったのに。

そう思っても、後の祭り。やるしかない。

もうじきこういう映画が上映されるらしい。
この映画の「問い」には、「シャーロットのおくりもの」ではきちんと答えられていなかったけれど、今度はどうなのだろう。
11月になったら、うちのブタ娘をつれて見に行こう。
それを楽しみにして、この険しい山を越えよう。





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by ymznjp | 2008-10-17 08:24

また走り出す

金曜日は仕事をし、
土曜日は書店に行ってから、ビデオを見て(「明日への遺言」)、
日曜日は娘の学校の文化祭に行った。
文化祭では、桂三枝の講演を聞いて、昇降口で娘がお琴を弾いているのをみて、
それから、各教室の研究発表を見て、帰ってきた。

月曜日は、金曜日の仕事を全面的にやりなおし。
エクセル2003のファイルをエクセル2007で開いて、
中国語部分を上書きしたつもりだったのだが、
月曜日にもう一度ファイルを開いてみると、もともとあった表やグラフがなくなっていた。
ファイルを閉じるときに、何だかわからないメッセージ(あの手のメッセージって一応日本語らしく書かれているけど、チンプンカンプンだよね。そう思うのは、私だけ?)が出て、
「いいえ」をクリックすると、もう一度同じメッセージが出るし、
「キャンセル」をクリックすると、上書きできないし、
しかたなく「はい」をクリックしたのだけど、その時にもともとあったグラフや表が消えたのかもしれない。

それで、息子に貸していたOffice2003が入ったパソコンを取り返し、もう一度作業をやりなおしたのだ。

Office2007って、あれ何?
これのせいで、もう今までにさんざん時間を無駄にしてきた。
だいきらい。(って、私のスキルが足りないだけ?)
そして、月曜日から、また仕事を複数抱える身となった。
気づいてみると、また忙しい私。

景気のせいで仕事量が減ってきたと思ったのは、杞憂だったのかしら。
いつもでかい口きいているくせに、ちょっと仕事の波があると、すぐ気弱になるとは、私はなんと小心者なのだろうとつくづく思う。
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by ymznjp | 2008-10-15 08:54

行きたいね、ロシア

>(シンガポールのハウパーヴィラは)全然楽しそうな雰囲気がないですもの。

いいえ、Fujimotoさん。こういうところです
悪趣味でとてもすてきなところです。ずっと昔、まだ息子が赤ん坊だったころに行ったのですが、その時には暑くてぐずる息子にてこずって、ゆっくり楽しめなかったので、ぜひまた行きたいと思っているのです。



↑ハウパーヴィラ。

今日、こんな記事を見つけたのですが、ハウパーヴィラと匹敵するぐらいすてきです。
ロシアは、正統派の芸術の国だと思っていたのですが、この逸脱ぶりはあまりにも魅力的です。

行ってみたいな。でも、それには、子供たちの大学進学という大出費イベントを乗り越え、68歳までの生活費を確保しなくちゃ…。
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by ymznjp | 2008-10-09 07:53