いくらでも絞れるわけじゃない

先週あたり、ある翻訳会社から「某企業の技術文書」のトライアルをやってほしいという連絡があった。
日程的にOKだったので、その旨伝えると、「ああ、よかった。実はね、無償でやっていただきたいんです」という。
また、こういう後出しかとうんざりしたが、分量が少ないので、断るのも面倒だし受けてしまった。

昨日、メールが入り、「トライアルの訳文の質には問題ないとクライアントから連絡がありました。後は納期と料金の問題です。他の会社との相見積もりになります」などと書かれている。

料金は最初に取引をする時に決めているはず。

きっと、短納期、低料金で仕事をとってきて、土壇場で「なんとかこの料金でお願いします」とまた後出しをするつもりなのだろう。

このご時世、こういうことはこの業界に限らないのだろうけれど、すっかりモチベーションが下がった。

いつまでも人生があるわけではないし、家に引きこもって低料金で時間に追われて、七面倒くさい技術文書の翻訳なんかやる気がもうしない。

企業は「相見積もり」とか、「デフレの時代だから」と言えば、いくらでも無理がきくと思っているのだろうけれど、別にこちらがそれに応じなければならないわけではないし、生活がかかっている人にとっても(というか、そういう人にとってはなおさら)、そういうやり方はもうそろそろ限界ではないのだろうか。

海外には、「低料金でてぬき仕事をする」人たちがたくさんいるが、それも無理からぬことなのだろう。
結局、がんばっても先でそれが報われる見通しもなく、ただ品質を向上させろ、短納期で分量をこなせと言われても、
人の心というものは、そういうことができないようになっているのだと思う。
何か高尚な理由付けでもないかぎりは。

翻訳会社の社員のブログなどを見ると、料金のことなど一切触れず、マグロでもあるまいに「よい翻訳者は一本釣りで捕まえろ」とか言っているが、
何かこういう人たちは、わざと本質を外しているのである。料金のことなど度外視しても、やりようによっては使い勝手がよい翻訳者が手に入るかのような言説を弄して、誰におもねっているのであろうか。
 いくら一本釣りをしたとしても、待遇によっては、まともな翻訳者だってモチベーションは保てないのであるし、逆に待遇がよければ、まともな翻訳者にあたるまで、いくらでも翻訳者の入替ができるのである。

もし、件の仕事を低料金でやってほしいという連絡が来たら、11月に箏の発表会もあることだし、断ろうと思う。

発表会では、この曲の二箏をやることになっているけれど、練習の進み具合から行くと、11月に間に合うのか、少し心配になってくる。でも、明るくでおおらかで大好きな曲なので、がんばる!


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by ymznjp | 2012-09-21 08:54