「小さな魚(エリック・C・ホガード著)」再読

先日、ふとしたことをきっかけに、30年以上も前、子供時代に読んだこの本のことを思い出した。
図書館に行ったついでに館内の端末で検索し、印刷した検索カードをカウンターに差し出すと、
その本は新品のような状態で書庫から出てきた。
あまり読む人がいなかったようだ。

アマゾンには次のようにこの本のことが書かれている。

「第2次世界大戦末期の、荒れはてたイタリアを舞台に、孤児グイドら“小さな魚”たちが、たくましく生きていく姿を描く。」

戦争で孤児となったグイドは、たまたま知り合った少女と幼児を守りながら、戦火を逃れ、北を目指す。
物語の最後、死と背中合わせの壮絶な旅をしてきたグイドたちを見て、初老の将校がそっけなく、「きたない」という。

その時、グイドが言う言葉が印象的だ。

「戦争や災難ーきっとそこに問題があるんだ。もし、ぼくたちのきたないとこだけを見て、なぜきたないのかを考えないあの男をにくむなら…そうしたら…そうしたら…ぼくがあの男とおなじになってしまうだろう。
ぼくたちが今まで生きぬいてきたことは、無意味なものになってしまう。(中略)ぼくたちが動物と違うのは、わかろうとすることだよ。」

おお、なんと含蓄のある言葉。

「戦争や災難の原因は、表面だけを見て、分かろうとしないことにある」。

そして訳者のあとがきには、「いい者と悪い者がいるかぎり、いや、そんな人間がいるのではなく、人間が、そんなふうな考え方をするかぎり、戦争はなくならないだろう」とある。

本当に。「いい者」と「悪い者」がいるわけではない。
同じものごとをあちらから見るのとこちらから見るのとでは、まったく違ったように見えることもある。
そこから考え方の違いが生まれるのかもしれない。
一面的な悪があると決めつけるのではなく、なぜ同じ人間でありながら、違った考え方をするようになってしまうのか、そのことを洞察しなければならないのだろう。

テレビや雑誌が、ある国や団体を悪だと言う時、立ち止まっていつもこのことを思い出そうと思う。
それにしても、こんなによい本なのに、どうして読む人が少ないんだろう。
[PR]
by ymznjp | 2009-09-17 17:21