私はパソコンの脇においてある卓上カレンダーでスケジュールを管理している。
来月2月は、息子の試験だの、合格発表だの、忘れてはいけない予定がたくさんある。それを数日前に書き込み、カレンターは2月のままになっていた。今日の朝、なんとなく、それを1月に戻したところ、26日のところに「T(娘)、入学金引き落とし」と書かれているではないか。
えっ!!
でも、もう今日は29日。
学校の授業料は年払いにしてあるので、つい、もう今年度は払い込む必要がないと思ってしまっていた。
だから、25日に銀行に行った時も、授業料引き落とし用の通帳には入金していない。たぶん、残高は5万円くらいしかないだろう。
そわそわしながら、9時になるのを待って、学校の事務室に電話をし、どうしたらよいか聞いてみた。
結局、学校が2月に金融機関からの集計報告を確認した後、振り込み用紙を未納者に送るので、それで振り込んでくださいとのことだった。
それでようやくほっとしたのだが、最近、いろいろと間違いが多い。
息子の受験料を払い込みに行く時に、振り込みの明細を書いた紙を、リビングから玄関まで行く間でなくしたり…。
振り込みの控えをどこにしまったかを忘れて騒いだり…。
灯油を買いに行って、ちゃんとタンクを自分で車に載せたのに、
次に行った店で買い物をしている途中で「わっ。タンクを車に載せ忘れたような気がする。早く取りにもどらなくちゃ」と言いだして、「ママ、ちゃんと自分で載せたじゃない。見たわよ」と娘にバカにされたり…。
もう最近うっかりしてばかりいるのである。
娘には、「ボケ防止には、ぬりえがいいんだって。ぬりえやりな、ぬりえ」と言われている。
私の頭は別にボケていないと思うのだが、大人のぬりえ、たのしそうだし、やってみてもいいかなと思っている。
昨日の午前中、納品をした後、息子の受験料を払いに行き、まだ昼までに時間があったので、
レンタルビデオ屋にいった。
そこで、「初恋の想い出」というなんともベタな題名の中国映画のDVDを借りたのだが、
これがなんとも。
中年のおばさんがこれをどういう表情で見たらよいのだろう。
男女2人が「ロミオとジュリエット」になりきって、
悲恋に酔うというハズカシイお話。
金網ごしに「ロミオとジュリエット」の本の表紙を見せたり、一緒に「ロミオとジュリエット」(布施明の元奥様のあの往年の名作ね)の映画をみたりして、「私たちみたい」などと言い、あっちのセカイに行ってしまった目で見つめあったりするのである。
「やめて、やめて」と思いながら半分まで見たが、もう限界。
このまま返してしまおうかな。
男のほうが外国に行くことになって、いったん別れるのだが、この先、映画の内容はちっとは洗練されたものになるのだろうか。
今どきこんなものをどんな顔をして企画したんだろうね。
興味がある方は、苦笑しながら見てください。
それと、会話がそれほど難しくないし、聞き取りやすいので、勉強用にはよいかも。
一時期、取引先も減って、受注も低迷していたが、
最近、新しいクライアントや翻訳会社から、それぞれ続けて受注した。
単価は下げていないが、案件の難度は高まっているようだ。
どれもこれも厳しい内容ばかりだが、レートを下げたら、気持が折れて仕事の質を保てなくなってしまうような気がする。
今日、ある翻訳会社を訪ねて、そういうことも含めて愚痴をたれてきてしまい、
後から恥ずかしくなってしまった。
そのとき、原稿も受け取ってきたので、せめて訳文の質だけでも恥ずかしくないものにしたい。
そのほか、息子のセンター試験も終わった。
今年は、大きな波乱が起きて、模擬試験で安定的によい点数をとっていたような受験生が、
予想もしなかった低い点をとってしまう例もたくさんあった模様。
うちでも、自己採点の点数を知って、私も息子も青くなったが、今日、各予備校から、
志望校別の予想足切り点が公表されてみると、予想外にそれも低くなっており、
ようやく胸をなでおろした。
これから、1カ月半くらいは、こういう一喜一憂の日々が続く。
もう息子より、私のほうが心が折れそう。
このところ、ブログの更新が滞ったのもこういう事情があったからだ。
落ち着いたら、細かく報告しようと思う。
子供の受験の様子などを保護者が逐一報告しているブログも世間にはたくさんあるようだが、
私にはそんな心の余裕などとてもとても…。
ミスしてしまった。
これまでミスを出さないようにあんなにがんばってきたのに、一瞬の不注意で、このシリーズ初めてのミスをしてしまった。
くやしい~。
毎年、今の時期は、某所から学校の成績証明書の翻訳をたくさん受注している。
今日は特に集中的に来て、てんてこ舞いだった。
最後の一通を見ると、なんとなく見覚えがあったので、
先週受注したファイルのいくつかを開いてみると、
同じ学校の同じフォーマットの成績証明書があった。
「やった!これを利用しよう」
そう思って中身を見ると、別人なのに、なんと十いくつもある科目の3年分の成績が全部一緒。
一つずつ、数字を指で追って確認したが、本当に一つ残らず同じ成績だった。
こんなことってあるの?
呆然としながら、最初に書かれている名前のところだけを修正して、納品した。
「儲けた」と思ったのだが、納品してから夕食をとり、その後なんとなくもう一度原稿を手にとってみてみると、名前は最初の部分だけでなくて、文中にもう一箇所書かれているのに、そちらのほうの名前は修正し忘れてしまったことに気付いた。
電話を入れて謝罪し、再納品した。
一応、すべての部分を原稿と照らし合わせて確認してから納品したつもりだったのに、成績がすべて一緒だったことに驚いて呆然としていて見逃したのかもしれない。
それにしても不思議だ。中国ではこんな偶然があるのだろうか。
昨日、机の上に年賀状が置きっぱなしになっているのに気がついた。
印刷を終え、そのうち出そうと思ってそこに置いたきり忘れていたのだが、もう「今年」が2日しかないではないか。
午前中に慌てて娘と一緒に年賀状の宛名を書いて投函した。
それと、「カールじいさんの空飛ぶ家」も今年中に見に行くつもりだったので、慌ててネットで席を押さえて娘と一緒に見に行った。
今日は朝から掃除。台所、風呂、トイレ、駐車場。
伸びすぎた庭木も切った。
そのあと、泥だらけのベランダをデッキブラシでこすっているうちに空が暗くなってきた。
娘に手伝ってもらったが、まだきれいにならないうちに日が暮れてしまったので、そこであきらめた。
娘に「どうして一週間くらいかけて計画的にやろうとしなかったの?!
そういうへこたれた根性をどうにかしなさい!」と叱られた。
はいはい、本当におっしゃる通りです。
今年は時間があったのに、気がつけば、例年通りの手抜き掃除となってしまった。
他にも、時間があったのに、あれもこれもできなかった一年だった。
この一年間、計画的に何かをやろうとすればできただろうに、「へこたれた根性」の私は無為にすごしてしまった。
ま、そういう一年も貴重だろう。
この暗い世の中で、そんなふうにうすぼんやりとしていても、一年をやりすごせたのだから、「幸せもの」だともいえる。
思いおこせば、おもしろいことばかりではなかった一年だけれど、
今となっては、恙無く一年が終わっていくことに感謝するばかりである。
皆様、本年はつまらない戯言にお付き合いくださいまして、ありがとうございます。
また来年もここでお会いしましょう。
うちだって一応チキンとケーキを食べ、子供たちそれぞれに図書券を進呈したのだ。
今年もお手軽クリスマスが終わった。
隣の奥様は、末のお嬢様から「ドラえもんがほしい。おもちゃじゃなくて本物の。サンタさんにお願いして」と言われたそうだ。
無事、ドラえもんは調達できたのだろうか。
ところでずっと前の日記(下に貼りつけました」で書いたとおり、うちの子たちはハナからサンタさんは信じていない。何か信念があったからではなく、親の怠慢から。
うちの子供たちが幼いころには、「陸の孤島」に住んでいて、ネットショップも発達していなかったし、
さらに赤ん坊も抱えていたので、子供に隠れてプレゼントを買いに行くことができなかったから、しかたがなかったのだ。
子供なんて、「親の都合」の中で育てていくしかないのだし、それで悪いことは何もないと思う。
2004/12/28 (火) サンタクロースがこない家
今日の昼は、近くのファミレスで子供たちとランチする。
「お友達はみんなね、サンタクロースがいると思ってるんだよ。変だよね。一晩のうちにいっぺんにあちこちの子供にプレゼントを配れる人なんているわけない」とこどもその2が言う。
我が家では、毎年、クリスマスプレゼントは子供と一緒に買いに行ったり、東急ハンズやトイザラスのネットショップに注文したりしている。サンタではなく、親がプレゼントをするというのは、我が家のこどもたちにとって、自明のことなのだ。
こどもその1が1歳か、2歳の時、私も人並みにこっそりとおもちゃを買い、「いい子にしてたら、サンタさんがおもちゃをくれる」とこどもに言ったりしていた。当日の朝、こどもが「サンタさんがくれたんだよ」と言いながら枕元に置いてあったおもちゃを夫に見せると、夫は「自分が稼いだ金で買ったのに、サンタがあげたことになってしまったら、つまらない」と言い出した。また、オカシナことを言っている、と思いもしたが、生来なまけものの私は、毎年芝居を打つのも面倒だと思い、それ以来、親がプレゼントを買うということを子供に隠さずにきた。
以前、あるアニメにサンタクロースがいないことを示唆する内容があり、それを見て激怒した親たちからの「子供たちの夢をこわすのか。」という苦情がテレビ局に殺到したそうだ。
見ず知らずのよそのおじさんが、トナカイが引くそりで空を飛んで、プレゼントを配る、というのが、そんなにかけがえのないファンタジーなんだろうか。夢なんて、それ以外にもたっぷりあるのに。
最近、次のような言葉に接することが何回かあって、そのたびごとにもやもやした気分になる。
「さすが、藍ちゃんというだけあって、出藍の誉れだ」
「うちの子供の名前は藍ですが、出藍の誉れから取ったのです」
「師よりも優秀だ(になれ)」というのなら、
「藍」ではなくて「青」のほうじゃないのかと思うのだけど。
だって、「藍」は「青」に超されてしまうほうでしょ?
変じゃないの?
22日は、朝一番で娘の学校の面談に行ったあと、家を片づけ、
その後、昼前に家の前で近所の人たちと待ち合わせてスイパラに行く。
面談は特にこれといった話がなく終わった。
冬休み前に計画を立てましょうとか、早めに大学進学についての考えをまとめるといいですね、ということを話しただけで、個人的に困ったこともなかったし、担任からの注意もなかった。
昼からのスイパラでの忘年会には、娘もついていくと言い、コブつき(本体よりもコブのほうが大きいけど)での参加になった。
私を含めておばさんたちが談笑する脇で黙々とケーキを取ってきては食べていたようだった。
帰りには、うちの娘ともう一人の人がAnimateに行くというので、一緒について行って腹ごなしをして帰った。
ところで、スイパラが入っている建物の下にはルイ・ヴィトンの店舗が入っているのだが、なんとそこに高校生カップルがいるのよ。
男の子は髪の毛が南国の鳥のように逆立っている子で、女の子も茶髪のヤンキー風。
おばさんたちは当然のようにそれを見てあきれる。
「なにあれ。女の子がクリスマスプレゼントにヴィトンをねだったのかしら。
あんな女の子、うちの息子の彼女だったらいやだわ」
「本当よね。男の子も子供のくせに何でそんなもので取り入ろうとするの?10年早いわよ」
「そうそう。あんな女の子をうちにつれて来たら、コーヒーなんていれてやらないで、水にワサビ入れて出すわよ」
「あははは。あははは」
私たちはすでにもう「嫌な姑予備軍」なのである。
明日は、娘の学校の面談。これもまた気が進まない。
昨年はクラスの人間関係で苦労したようだけど、今年はよいお友達もできて楽しくすごしたようだ。でも、勉強のほうは、1年や2年の時と比べるとちょっと中だるみかな。
夏前の父母会では、高等部進学時に、医科進学コース以外にも、志望大学によってクラス分けをするようなことを言っていたけれど、それがなくなったので、特に話すこともないような。
それに、担任の先生、目つき悪いんだもの。
最初に顔を合わせた時に、こちらの意見を封じこめようとしているかのようにあの三白眼でジロッとこちらを見るんだもの。
誰かに似ていると思っていたけれど、今になってやっとわかった。
魔太郎だ。
ウラミハラサデオクベキカ…。
わあ、怖い。
16日、面談に行ってきた。
今年の担任は、一年生の時の担任でもあり、部活の顧問でもあって、息子がたいへんに慕ってきた人である。
担任の先生に前回のブログに書いた通りのわが家の(私の?)考えを伝え、
「一応、私と息子とでそういう考えでいるのですが、息子のほうは自信がないらしく弱音ばかり吐いています」と付け加えた。
先生の話では、息子は学校でも同じように弱音を吐いているらしいが、
「成績もよいし、学校の活動にも力を尽くしてきたので、今の模擬試験の結果では、まだ合格に届かないと本人は思うのだろうけれど、合格の可能性はあるから、そのままの考えでがんばればよいと思う」とのことだった。
息子の学校は、県内一とも言われる進学校で(昨春は2位だったが)、
6月まで部活に力をつくし、その後に受験勉強に専心して成績を伸ばし、難関校に入る生徒が多いと言われている。学校の雰囲気がそういうものであるので、息子も月までは部活や学校の活動ばかりに力を注いできたが、その後、当初考えていたように成績が伸びず、焦っているらしい。
そういう様子は先生もよく分かっているらしかった。
進学の話については、「第一志望はそのままということにして、センター試験の成績が思わしくなかった場合、志望先を変えるかどうか、第一志望が不合格だった場合、私学に行くか浪人するか等については、本人に任せるしかないですね」ということで簡単に話がついてしまい、その後に、学校での様子を聞いた。
6月に部活をやめるまでは、毎日のように学校の帰りが遅くて気をもんだ私だが、
先生は先生なりに暖かく指導してくださっていたのだとその話を聞き終えたころには自然に思えるようになっていた。
また、こういう人だから、親の私が何を言っても、最後まで先生や友人と部活に取り組むほうを息子は選んだのだと納得がいった。
受験勉強のほうは、今年ダメだったら、もう一年やればよいのだし、
浪人生活を一年余計に費やしたとしても、それを補ってあまりある収穫を得たのだろう。
最後に、そのことについて、心からお礼を言って、学校を出た。